杉の木クラフト

そこにあるもので生きていく。
溝口伸弥さんは、北九州生まれの横浜育ち。東京の大学を卒業し、東京の建築設計事務所に就職しました。
転機が訪れたのは ー正確には、自ら転機を作ったのはー 27歳の時。大分県日田市にある林業を営む会社に転職。
幼い頃から自分の手でモノを作ることが大好きだった溝口さんは、日田にあるその会社が木工部門を新設し、日田杉を使った工芸品を作る事業を始めることを知り、木工作家としての道を歩む選択と決意をしました。
ひとりの力で生きていく方法を探り、そのための術を身に付けていく。そんな溝口さんの生き方のはじまりでした。
溝口さんは今、福岡県の糸島に<杉の木クラフト>と名付けた工房を構え、木工作家として、ひとりすくっと立っています。

溝口伸弥さん


しょうがない? いや!しょうがなくない!

モノづくりをする上で、数年前から溝口さんが徹底していることがあります。化学的に合成された塗料や接着剤、溶剤等を一切使わないことです。
きっかけをくれたのは、同じ糸島で自然農法に取り組む農家の人。 ““土を汚さない” 農法をとことん追求し、実践している人でした。その意識の高さに驚いた溝口さんは、彼の仕事の仕方を自分の仕事と照らし合わせます。そうして導き出したのが、化学合成剤との決別でした。

……しょうがなくやってる感というのがあると思うんです。多少は環境に悪いかもしれないけど、まあ、しょうがないよね、という感じで。でも、「いや!しょうがなくない!」というところでやっていきたいし、やっていかなければならないと思ったんです……

もともと化学合成品を使うのはイヤだった。だったら自分の想いに忠実でいよう。やってみよう。徹底しよう。そう心に決めた溝口さんが現在使うのは、塗料は漆(うるし)、接着剤は膠(にかわ)やミルクカゼイン、溶剤はテレピン油といった天然由来のものだけです。

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ひとりだからできることがある

塗料も接着剤も溶剤もすべて天然のものにこだわる。それも、ひとりだからできることだと溝口さんは考えています。
ひとりでやっている自分が、こうと決めたら、反対する人反対できる人は誰もいません。それまでできていなかったことも、いざ自分がやると決めると、できることになっていきます。でも、そのように、ひとりで決断し、ひとりで全ての責任を負うような生き方は、大きな組織の中にいれば、異端ともなりがちです。

……ひとりの力で生きて行くにはどうしたらいいか、ずっと考え続けてきました……

別の言い方をすれば、溝口さんは、自分がいちばん大切にしたいことは何か、譲れないことは何かを、ずっと見つめ続けてきました。
そうして溝口さんは、山や森や大地に、そして人の体にも心にもやさしい木工製品を作るために、自分にできる限りのことをやり通しています。ひとり、わがまま、に。



そこにあるもので生きていく

<杉の木クラフト>。名は体を表すと云いますが、まさにその言葉通り、溝口さんは杉を主な素材としてさまざまな作品を作っています。
日田杉を使った工芸品づくりから木工作家としての道を歩み始めたのですから、当然といえば当然なのですが、溝口さんが杉を選ぶのには、もっと深い理由と意味がありました。

……身近にたくさんある樹を素材として選ぶのは、自分にとって自然なことです……

木工作家としては、さまざまな種類の木にチャレンジして、時には貴重な素材も手がけるというやり方もあるでしょう。
でも溝口さんは、身の回りにごく普通にある、何でもないような素材を使って、何かを作っていきたいと考えています。
そこにあるものに目を向ける。それは、クラフトマンとして、ひとりの人間として、溝口さんが大切にする生き方です。そして身近に、杉がありました。

もう一つ忘れてはならないことがあります。森林や山の再生にかかわることです。
木材の需要を見越して、日本のいたる所で大量の杉が植えられた時期がありました。ところが木材として利用しようにも採算が取れない等の理由で、やがて杉の林は放置されるようになり、山が荒れる大きな要因となってきました。
素材として杉を利用することは、杉の林に本来必要な整備の手が加わること、そして森林や山を生き返らせることにつながっていきます。
そこにあるものに目を向けるということは、そこの環境に目を向けることでもあります。

さて。この章の最後に、杉を使ったものではありませんが、溝口さんのユニークな作品をご紹介します。恐竜や昆虫の組み立てキット。それぞれの特徴が見事に再現されていて素敵です。素材は、溝口さんの自宅にある梅の木を剪定した枝なのだそうです。ほら、こんなところにも “そこにあるものに目を向ける” 溝口さんの眼差しが、ね……。



生き方を伝える

工房の下には田んぼがあって、溝口さんはご家族で稲作も行っています。もちろん自然農法。収穫後の藁は、藁細工の材料になったり、奥様の陽子さんの納豆づくりに活かされたり……。
どういう生き方をしていくか。その部分で共感・共鳴し合うお二人だからできることかも知れないのですが、なんて素敵な暮らし方なのだろうと思います。

……ひとりの力でも生きていける、こういう生き方もあるということを示していきたい……

溝口さんの生き方、仕事の仕方を見て、「自分も杉を素材にすることにしました」と、ある若い木工作家が糸島で新たな試みを始めたと聞きました。

溝口さん。溝口さんの思いは、届くところにはしっかりと届いていますね。

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